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喜多川歌麿

Kitagawa Utamaro

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略歴

宝暦3年(1753年)頃に生まれる

姓は北川、後に喜多川。幼名は市太郎、のちに勇助と改める。

鳥山石燕のもとで学び、細判の役者絵や絵本を制作。
天明8年(1788年)から寛政初期にかけて、狂歌絵本著す。植物、虫類、鳥類、魚貝類を題材にした華麗で精緻な作品を描き、出世作となった。
その後、画風を独自に進化させ、重政や清長の影響を脱し、「風流花之香遊」、「四季遊花之色香」のような清新な美人画を制作。
無名の女性ばかりを作品の対象としたが、歌麿の浮世絵によってモデルの名前はたちまち江戸中に広まり、歌麿の浮世絵は一つのメディアへと育っていった。
これに対して江戸幕府は世を乱すものとして歌麿へ圧力を加えるも、歌麿は美人画を書き続ける。

文化元年(1804年) 豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした浮世絵「太閤五妻洛東遊観之図」(大判三枚続)がきっかけとなり、幕府に捕縛され手鎖50日の処分を受ける。側室などに囲まれて花見酒にふける秀吉の姿が当代の将軍・徳川家斉を揶揄するものとみなされたため。
しかし、この後、体力を失っていくとともに画への意欲も失せていき、文化3年(1806年)に死去。

開国後、多くの作品が国外に流出。特に、ボストン美術館のスポルディング・コレクションには歌麿の浮世絵380点余が所蔵されている。

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