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ゲルハルト・リヒター 大阪で観て、東京で観て

 今年は、2回、ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)の展覧会を観ましたが、1回目と2回目では、印象がまるで違ったんです。
最初は、 1月にエスパル ルイ・ヴィトン大阪で開催された「Abstrakt」展でした。「ルイ・ヴィトン」主催の展覧会だけあって、リヒターの作品は、アブストラクト(抽象画)とは言っても、バスキアを感じさせるような激しさと、モネを抽象化したような緑がとても印象的でした。

ゲルハルト・リヒター 作品

 リヒターは、1932年生まれの90歳になるドイツの現代美術家です。その作品は新聞や雑誌の写真をぼかしてキャンバスに描いた「フォト・ペインティング」や、色見本のような「カラーチャート」や、色彩を何重にも重ねた「アブストラクト・ペインティング」などなど、素材も、油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など本当に様々です。

ゲルハルト・リヒター 作品

ゲルハルト・リヒター 作品

 2012年、競売大手サザビーズがロンドンで行った競売で、リヒターの抽象画『アプストラクテス・ビルト(809-4)』が日本円で約26億9000万円で落札されたんですよ。

ところが、その後6月に、このリヒターの展覧会が、東京国立近代美術館で開催されたのですが、パンフレットには、リヒターは「ドイツが生んだ現代で最も重要な画家」であり、「ものを見るとは単に視覚の問題ではなく、芸術の歴史、ホロコーストなどを経験した20世紀ドイツの歴史、画家自身やその家族の記憶、そして私たちの固定概念や見ることへの欲望などが複雑に絡み合った営みであることを、彼が生み出した作品群を通じて、私たちは感じ取ることでしょう。」と解説されています。

 「あれっリヒターって一体どんな人なんだろう?」って思いますよねえ。
 私は、リヒターの半生をモデルにしたという映画「ある画家の数奇な運命」を以前観たことがあります。
 映画の舞台は第二次世界対戦中のドイツ。画家を志す主人公の青年は大学で後に妻となる恋人と出会います。ところで彼にはかつて統合失調症(以前は精神分裂病といいました)と診断された大切な叔母がいたのですが、叔母はナチスの指示で精神病患者の収容施設に送られて不妊手術を強制され、その後、彼女はさらに精神病院へと移送されたあげく、計画的に餓死させられていました。ところが何と恋人の父はナチス・ドイツの優生政策に基づき、精神病患者へ不妊手術を施し、殺害していた医師だったんです。映画ではその正体に気づかぬ主人公が、自らの創作活動を通して義父の隠された真実へと迫る過程が描かれているのです。
 リヒターの叔母は、ナチス・ドイツの優性政策の犠牲者で、そして恋人の父はこの優生政策に基づき、精神病患者へ不妊手術を施し、殺害していた医師だったわけです。
 まさに「ある画家の数奇な運命」ですよね。
 さて東京国立近代美術館の展覧会の会場には、巨大な4点の抽象画が展示されていました。黒と白や赤と緑の色彩のコントラスト、縦横に不規則な縞模様が浮かび上がっていて、何か暗い陰鬱な印象の抽象画です。タイトルは、「ビルケナウ」と書いてあります。

リヒタ-ビルケナウ

 この抽象画とは別に、数枚の白黒写真の複製が展示されていました。ぼんやりしていて
、何が写されているのかよく分かりませんでしたが、強制収容所の内部を撮影した写真の複製のようでした。

リヒタ- 写真

「ビルケナウって何?」

 アウシュヴィッツ強制収容所は、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所で、アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られ、周辺には同様の施設が多数建設されていたそうです。

 ビルケナウは、もともとは地名で、アウシュヴィッツ第二強制収容所を指す言葉のようです。
 「ビルケナウ」という作品の解説には、「これら絵画の下層にはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で密かに撮られた4枚の写真イメージが描かれています。」と書いてあります。
 
 「どんなイメージなのかしら?」

 リヒターは、野原で焼かれる死体をガス室の扉の窓越しにとらえた写真を額に入れて、アトリエの壁に掛けていたそうです。
 この写真をリヒターは、ある本からとったようですが、「これは息を飲むような緊張を強いる本です。例えばこの写真は、強制収容所の中庭を撮影したものです。ここに写っている人たちはまったくのんきにうろつきまわっていて、死体の向きをひっくり返しています。でも、もっと近づいて見たときに初めてそうとわかるのです。さしあたり彼らは親切な庭師のような印象ですが・・・そこには実態と外観のあいだの狂気じみたコントラストがあるのです。」とリヒターは述べています。

 うーーむ 展覧会のパンフレットには、「ものを見るとは単に視覚の問題ではなく、芸術の歴史、ホロコーストなどを経験した20世紀ドイツの歴史、画家自身やその家族の記憶、そして私たちの固定概念や見ることへの欲望などが複雑に絡み合った営みである」と書いてありました。
 
確かに、リヒターは、「ドイツの歴史、画家自身やその家族の記憶」と長い時間をかけて向き合って、格闘しているなあと感じました。
 ドイツと日本を簡単に比べることはできないとは思いますが、リヒターは「ドイツが生んだ現代で最も重要な画家」と評価されているのに、「日本が生んだ現代で最も重要な画家」と言って思い浮かぶのは、どうも「漫画」っぽい画家ばかりです。
そもそも、ドイツでは戦争での負の遺産を学校教育でしっかり学習し、アーティストが社会の諸問題や政治的意見を表明することが当たり前とされているようです。日本でも戦争や歴史を取り上げる作家はいても、ドイツほど激しくはないようで、歴史や戦争に対する教育や社会の関わり方の違いなのかもしれませんね。
 
リヒターの作品は、たとえ「歴史」や背景を知らなくても、観た瞬間に、すごい迫力を感じさせ、すきのない名画だなと思いました。まさにリヒターは「ドイツが生んだ現代で最も重要な画家」であり、是非、一度、ご覧になっては如何でしょうか。

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