山下清 戦争はイヤ
— 2022年5月12日
山下清の作品が、貼絵を中心に、油絵、水彩画、ペン画など約150点も展示されていて、しかも子供の頃から49歳で亡くなるまで、おおよそ時代順に展示されていて、私は、山下清の芸術性の高さに、改めて感心させられました。
山下清と言えば、どうしても「裸の大将」のイメージが先行してしまいます。山下清は、1940年(昭和15年)18歳の時に、当時生活していた「八幡学園」(やはた学園)を脱走し、放浪の旅に出ています。この放浪の旅が、小林桂樹や芦屋雁之助の映画・テレビとなり、ランニングシャツに短パン姿であてもなく放浪し、出会った先々で貼絵を作成していく飾りけのない純朴な人というイメージができあがっているのですが、実際には、相当に違うようです。
山下清は、3歳の頃に風邪から重い消化不良で命の危険に陥り、軽い言語障害、知的障害の後遺症を煩ったそうです。12歳位で、いまの千葉県市川市にある知的障害児施設「八幡学園」に入ることとなりますが、この学園での生活で「ちぎり紙細工」に出会います。最初の頃の貼絵は、「あしなが蜂」や「蝶々」や「ほたる」など、昆虫ばかりなのですが、すごく良く観察しています。
そして多くの人の目にとまるようになり、16歳の時には、銀座の画廊で個展を開き、翌年には大阪で展覧会が開催され、梅原龍三郎が、「作品だけからいうとその美の表現の烈しさ、純粋さはゴッホやアンリ・ルソーの水準に達していると思う」と評価していたそうです。
山下清は、放浪中、旅先で貼絵を作ることはなく、家や学園に戻った時に、旅先での風景や出来事を驚異的な記憶力で思い起こし、それをもとに丹念に貼絵を作成していくのです。放浪中はシャツと短パンだったかもしれませんが、当時としてはおしゃれな人で、画家らしくベレー帽をかぶったりもしていたようです。
山下清の貼絵を前にすると、臨場感あふれる構図のすばらしさと絵に温かみを感じます。
驚くほど細かく(3ミリ程度だそうです)千切られた色紙が、無数に貼り込まれています。しかも手で千切って、糊で貼っているんです。また独特の「こより」(小さな紙をこよりにして細かく貼りつける、清独特な技法)も用いられています。
山下清の作品の特徴はこの「プリミティブな手法」と、構図が「素朴(ナイーブ)派的」なところにあると言われています。プリミティブprimitiveって、辞書では「原始的な」「未発達な」「粗野な」といったニュアンスですが、山下清は意識的にそのような「手法」をとったのではなく、正規の美術教育を受けることなく、常人ではまねできないような才能を発揮して、貼絵をつくっているのです。
「できあがった作品は遠近法もなく、それどころか原始的な作品として仕上が」っていますが、それがまた山下清の場合には、不思議な魅力となり、芸術性を強く感じさせられました。
その後、1961年(昭和36年)にはヨーロッパを旅し、現地で見た異国情緒に溢れる風景を、より写実的で完璧な色彩と構図で描いた、遠近法や光と影の表現にも秀れた数多くの作品をのこしました。
画家として円熟期を迎えたとも言え、山下清独特の以前の原始的な作風から、より絵画としての技術が高まったような印象です。
ちょっと話しは変わるのですが、最近は、テレビでロシアのウクライナ侵略戦争のニュースをよく見ます。山下清は、戦争が本当に「イヤ」だったようです。
山下清は、18歳の時に、八幡学園を脱走し、放浪の旅に出ているんですが、その理由については、「イヤになったから」としか答えていないようです。
ただ当時は、1931年(昭和6年)に日本関東軍が満州事変を起こし、1933年(昭和8年)には日本は国際連盟から脱退し、1937年(昭和12年)には日本軍と中国国民革命軍が北京近郊の盧溝橋で武力衝突を起こし、日中戦争が始まるなど、日本は軍国主義の時代で、徴兵のための検査が行われていました。明治憲法の下では、兵役は、重要な国民の義務でしたから、「イヤになった」くらいの理由では、本当は、とても徴兵を免れることはできません。
その後、1941年(昭和16年)から太平洋戦争がはじまり、山下清は、1942年(昭和17年)の20歳の時に、受けることになっていた徴兵検査を受けたくなかったため、更に放浪を続けたそうです。よっぽど戦争が「イヤ」だったんでしょう。
山下清は花火が大好きで、こんな言葉を残しています。
「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんか 起きなかったんだな」
ロシアのプーチンさんに贈りたい言葉です
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